カレー&スパイス伝道師ブログ 2

インド&スパイス料理家、渡辺玲のブログ。2019年9月4日、ヤフーブログから移行。

2007年06月

 朝日新聞社刊のオピニオン系雑誌「論座」8月号で「インドカレー伝」の書評を担当。

 カレー好き日本人にとってこの本が持つ意味について、自分なりに説明したつもり。
 よかったら、書店等で手に取っていただきたい。

《このブログを書いているときのBGM》
 ザ・カルト『LOVE』(1985年)。

 都内練馬区にある南インド料理店。店名通りに南インドの個性派(特に隣接するタミル・ナドゥ州の人々からは「ケララの料理はよくわからん」という声も多い。それだけタミルとは異なる食文化を持っているわけだ)、ケララ州出身の方々がお店を切り盛りしている。フレンドリーでカジュアルなムードにあふれた、ナイスなレストランだ。

イメージ 1

 ランチタイムにマサラドーサを食べる。周囲は全員、カレーとナーンのセットを食べるお客様ばかりだった。スープカレーのセットというのもあり、ゴロンと骨付き鶏モモ1本の入ったカレーをナーンといっしょに食べる人の姿が見えた。

イメージ 2

 右は挽き割り豆と野菜のカレー、サンバル。ゆでたチャナ・ダールがたくさん入っていた。こういうサンバルははじめて。左はココナッツのチャトニ。

《このブログを書いているときのBGM》
 ヘティ・クース・エンダン『WIDURI』、インドネシアの歌姫のポップ・クロンチョン集。骨付き鶏モモのスパイス煮込みが食べたくなる。
 

6月28日(木)

 世間で騒がれている苫小牧の食肉加工業者の件、これでもかとあくどい話題ばかりが出てきてウンザリする。

 私、スパイス料理やカレーなどとの関わりとはまったく別に、有機畜産系食品の開発者として、全国にある環境保全型畜産生産者、大小さまざまな屠畜場、優秀な加工場等を長年訪ね歩いてきた経験を持つ。
 
 そういう人間からすると、ここに来て、肉に関わる生産・加工・流通業がすべてダーティなイメージで語られるのは、ホントいたたまれない気持ちだ。
 家畜の命と自然の摂理、さらには地球環境に感謝しつつ、一生懸命マジメに仕事に取り組んでいる人々が大勢いることを、ぜひ皆さんにわかっていただきたいものだ。

 そういえば、仕事以外でハンバーグを作り食べた記憶がない。プライベートでハンバーグを作りたいとか食べたいという欲求に駆られたことはこれまでないし、これからもないように思う。

 私がハンバーグ的なものをプライベートで作る場合、こんな感じになる。

イメージ 1

 鶏挽き肉にスパイスやハーブなどを混ぜ、中までしっかり、そしてジューシーに焼いたカバーブの一種。見た目はハンバーグだが、味わいはほぼ完全にチキン・シーク・カバーブだ。
 上のグリーン色のは、ミント、香菜、青唐辛子などをミキサーにかけた北インド式チャトニ。ハンバーグに対するデミグラス・ソースのような存在である。
 これらは各料理講習で取り上げることがある。そうするとたいていは人気メニューだ。

 インドやパキスタンに行くと、シャミ・カバーブ、カコリ・カバーブ、チャプリ・カバーブといったハンバーグ系カバーブの名品に出くわす。そうすると、ますます普通のハンバーグが疎遠になってしまう。
 ハンバーグにはスパイスが必須。これが私の個人的セオリーだ。

《このブログを書いているときのBGM》
 じゃがたらの『ニセ預言者ども』(1989年)。凄い。
 

6月27日(水)

 東京は蒸し暑い1日。
 こういうときは辛くてパワフルなものをと韓国料理のランチ、ユッケジャンラーメンにする。

イメージ 1

 真っ赤なスープだが、見た目ほど激烈な辛味ではない。ナムル、ニラ、千切りのにんじん、卵など具沢山。さらに酸味のあるキムチが上からのせられ、これがまたいいアクセントになっている。
 ユッケジャンとは、もともと犬の肉の辛いスープらしい。それが牛肉に変化し、韓国全土に広まったとのこと。ユッケジャンの中にはラーメンのほか、うどん、そしてもちろん白いご飯も入る。本日の店では小さい茶碗にご飯が付いてきたので、麺を平らげた後、ユッケジャンに入れて2度楽しんだ。

 暑いときはこういう辛い料理が欲しくなる。個人的には、南インドのスープカレーであるラッサム、エジプトのモロヘイヤスープあたりが夏の定番自作メニューだが、こういう韓国スープ料理も魅力たっぷりだ。

イメージ 2

 食後、ブラブラしていたら、空き地で猫が昼寝。見ているこちらも眠くなったし、肉球に触りたい衝動にもかられた。いいなあ、猫は。

《このブログを書いているときのBGM》
 じゃがたら『ごくつぶし』(1989年)。日本が生んだ最上の音楽のひとつであることに間違いない。

 

 ダンチュウ最新号の特集「カレーの歩き方」での現地取材にまつわる話題を少しばかり。

 今回訪れたデリーは、私にとってはMEAT CITY(そういう曲がプラスティック・オノ・バンド時代のジョン・レノンにあったな)。
 要するにムスリムの影響が強い肉料理の街という印象が強いのだが、ここではほかにも名物がいくつもある。そのひとつがチャットと総称されるスナックだ。

 南インドに行くと、ドーサ(豆と米のクレープ)やイドゥリ(豆と米の蒸しパン)、ワダ(豆でできた、はんぺんのような風味のドーナツ)といった軽食があり、ティファンTIFFINと総称される。日本でも一部のインドレストランで食べられるから、ご存知の方もいるだろう。

 一方、デリーで小腹がすいたとき活躍するのがチャットだ。
 セモリナでできたプーリにヒヨコ豆のカレーを詰めたラジ・カチョリ(本来カチョリというのは挽き割り豆の香味炒めを入れた全粒粉の揚げパンだ。下の写真の「マサラ・カチョリ・チャット」がこのパターン)、ヒヨコ豆の粉の生地を上げたクリスピーなパイにタマリンドやミントのタレをからめたパプリ・チャットなど、日本にはお目にかかれないさまざまなチャットがデリーにある。

 これらはインド中で食べられるものでもあるのだが、デリーの場合、トッピングの派手さ、酸っぱいタマリンドのタレ、スパイシーで爽快なミントのタレの風味のよさ、さらにはヨーグルトの大胆なぶっかけぶりなどで他の追随を許さない個性がある。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 いすれも、チャンドニ・チョークにあるデリー・チャットの名店『ハルディラム』のショー・ウィンドーにて。日本では見慣れないスナックばかりだ。インドにしては値段が高いのは、一流店だから?

 日本ではかつて、六本木にこういうチャットをメニューにし、テラス席でビールも飲める安くていい店があったのだが、今は閉店している。残念だ。

イメージ 4

 六本木の店の「ダヒ・サモサ・チャット」。崩したサモサにヨーグルト、タマリンドのタレ、香菜、レッド・チリ・パウダーなどをかけたもの。2004年撮影。

《このブログを書いているときのBGM》
 デッド・ボーイズ、ダムド、シャム69などのメンバーが結成した「ザ・ロード・オブ・ザ・ニュー・チャーチ」のセカンドアルバム。トッド・ラングレンがプロデュースした「今日を生きよう」(グラス・ルーツというバンドの1967年のヒット曲)のカバーが秀逸。

↑このページのトップヘ